【映画】バケモノの子
細田守作品で初めて鼻水垂らしてボロ泣きした。
ネタバレありっていうかもはやあらすじ。
家族を失った主人公が全てを否定して路肩に蹲っているところに、
早急に弟子をとらなければいけない事情のを抱えたバケモノ(ていうかただのケモナー)熊徹がたまたま通りかかって、「弟子なんて1ヶ月ももたずに皆すぐ辞めちまう!今からなりたがる奴もいねえ!いっそもう人間でも弟子にするか?!」みたくなり物語は始まる。
バケモノの世界に迷い込む過程は千と千尋を思い出した。
最初主人公は熊徹の弟子になることにもガンガンに反発していて逃げ出すんだけど、
その逃げている最中に街中でたまたま熊徹とそのライバルとの手合わせ(喧嘩?)に居合わせる。
そこで観衆が全員ライバル氏
の応援をしていて熊徹への声援なんてひとつもないのを見て「コイツもひとりぼっちなんだ」と共感&負けてんじゃねーよ!となり、そこから主人公はちゃんと熊徹のもとで修行を積むことにする。
9歳だったので九太という名を貰って。
現宗師(バケモノ界の長)が神様に転生することになり、次期宗師を決めなくちゃいけないの。
その候補がライバル氏と熊徹。
そのためにも、ライバル氏には息子も弟子もいるのだし熊徹も弟子をとれって言われてたのね。
バケモノと違って人間は心に闇を抱えてしまうしそれが取り返しのつかないことになるって言って、ライバル氏や熊徹の友人も人間を弟子にすることに反対するのだけど、現宗師が許可してくれたことでみんな黙る。
とは言っても熊徹は親も師匠もなしにひとりで強くなれてしまった人な上に元の性格が粗野で、人に物を教えるということができない。
「だから!ぐいっとやってびゅんっとやるんだよ!胸の中の剣をふるんだよ!」と言った風。
毎日毎日口喧嘩をしながらも熊徹の足の運びだけでも見て盗もうとしたり、炊事洗濯掃除なんかをやっているうちに、九太は熊徹の次の動きが読めるようになる。
そこからは稽古というなの教え合い。
相変わらず喧嘩はしながらだけど、お互いに切磋琢磨していく。
17才になった九太はある日ふと人間界に戻れてしまう。
確かに強くはなったけど、一切教育を受けていないせいで図書館に行ってみても漢字が読めない。
そこで漢字の読み方や勉強を教えてくれる女の子(楓)に出会い、バケモノ界で稽古に励むかたわらで人間界に通い、着々と知識を吸収していく。
ここからはとんとん拍子で、こんなに勉強熱心なら大検を受けてみたら?からの、そのためにまず戸籍から住民票をとりなおし、そしてどこにいるかわからなくなっていた父親の住所も判明する。
8年間親代わりだった熊徹に進路なんかも相談できればいいのに、いかんせん熊徹自身がまだ中身が子供で、九太の話をまともに聞いてあげることも出来ず。
学ぶ楽しさに目覚めてしまっている九太は熊徹のガキっぽさに嫌気がさして出て行ってしまう。
実父は再会を喜んで、今までのツラいことは忘れてやり直そう、一緒に暮らそう、って言ってくれるのだけど、
九太の中には「なんで今までツラがったって決め付けるのか?」という葛藤もあって。
そしてしばらくぶりにバケモノ界に帰ってみると熊徹とライバル氏との決戦の日が決定していた。
九太が出て行ってしまって若干自棄糞な熊徹が負けかかったところに、観衆に紛れて観戦してた九太が出て行って喝をとばし、熊徹大復活。
めでたく勝利するんだけど、そこで実はバケモノじゃなくて人間だったライバル氏の息子・一郎彦(超ファザコン)が闇に飲まれて大暴走して熊徹を刺してしまう。
昏睡する熊徹の寝顔を見つつ、人間界を彷徨っているであろう一郎彦を倒しに行くことを決意する九太。
自分の胸にもある心の穴に一郎彦を取り込んで自分ごと死ぬことも辞さない決意。
ここからの伏線回収の嵐はちょっとわかりやすすぎて、なんかもうこれ馬鹿だとおもわれてるのかな?って思う部分もあったけれど…。
すっかり闇に飲み込まれた一郎彦は人間界で大暴れしていて、九太はマトモに戦おうとしても歯が立たない。
どっかんどっかんいってる衝撃がバケモノ界にも伝わるんだけど、人間同士のことだし…みたいなムード。
そこに意識を取り戻した熊徹がボロボロの身体を引きずってやってきて、宗師様に「この場をおさめる方法を腹の中に抱えてるだろ」と。
つまり神様に転生する権利をよこしやがれ、と。
本当なら単なるバケモノがいきなり神様にはなれないんだけど、決戦に勝って宗師の地位を得た熊徹にはそれが出来る。
ちなみに元宗師様は“決断力の神”に転生しようとしていた。
この映画で言う神様は全知全能のなんでも出来る神様ではなくて、日本の宗教観にのっとった八百万の神。
熊徹はなんの神様になるつもりなんだろう?って思って見てたのだけどここからがボロ泣きですよ、ええ。
熊徹はね、「こんな半端者の俺だけど、九太の心の穴は埋めてやるんだ!」って吠えるの。
誰でも抱えてる心の穴を父性で埋めてくれるだなんて〜!と、長年父性への飢えが人生のテーマだって私はまず泣けてしまった。
そう、心の穴を父性だとか慈愛だとか、楓との恋心だとか、その手のただただ温かくて優しいもので埋める、って展開ならね。
最高に陳腐で綺麗事でわかりやすくて簡単だったと思うし、それまでで盛り上がってたからそれでも泣けたと思うのだけどね。
実際に熊徹が何の神様に転生したかというと、剣の付喪神になったの。
付喪神っていうのは物につく神様。
でも今作では物そのもの。
熊徹は完全に剣の姿で九太のピンチに現れる。
そしてバケモノ界の面々が九太に言うのね。
「その剣は熊鉄だ。」
「あいつは馬鹿だから、お前の胸の中の剣になるんだとよ!」って。
なんという胸熱展開。
九太の心の穴を父性で埋めたところでそれは過去の埋め合わせにしかならないし、慈愛や優しさでも。
九太はこれから沢山のことと戦わなくてはならなくて。
そこで“胸の中の剣”!アツい…!
私、筋肉少女帯の「香菜、頭を良くしてあげよう」って曲を思い出しました。
*
香菜、君の頭
僕がよくしてあげよう
香菜、生きることに
君がおびえぬように
香菜、明日、君を図書館へ連れていこう
香菜、泣ける本を、
君に選んであげよう
香菜、いつか恋も
終わりが来るのだから
香菜、一人ででも
生きていけるように
*
それは置いといて。
剣となった熊徹は九太の心の中に宿り、そして九太は一郎彦を倒す、もとい、救う。
それから九太は二度と剣をふるうこともなく、人間界で大学受験を目指す。実父と暮らしながら。
胸の中に宿った熊徹に、相変わらずの口の悪さで、そこで見ておけよ、って呟きながら。
今年の夏にドハマりしたマッドマックスが とことん台詞と説明を削って、全ては観ればわかる、自分で読み取れ!!な映画だった分、すこし説明過剰に感じたかな。
弟子を育ててるだけでなく育ってるのは熊徹の方だとか、白鯨のくだりだとか、それくらい台詞にしなくても観客は読み取れるから大丈夫だよ…?ってなった。
夏休みだし子供も沢山観るだろうから優しさなのかな。
少し馬鹿にされてる気がしてしまったけども。
とは言え、ケモナー萌えと胸の中の剣のアツさに全て持って行かれたので良しとします!
久しぶりに映画で素直に泣きました!
最後に空のドリンクを係員さんに渡すときとか自分が完全に泣きましたな顔をしていて恥ずかしかったです!!
観たあとの、ちゃんと一日一日丁寧に暮らす事こそが修行なのだ、お掃除とか勉強とかがんばろう、てなるかんじが乱と灰色の世界という漫画に似ている。良い。